富士高砂酒造は、全国に1300ある浅間大社の総本山「富士山本宮浅間大社」のすぐ西側にございます。
山中正吉翁がこの地に酒蔵を構えたのは、 1830年(天保元年)。
以来、ひと時も休むことなく、100年かけて自然の濾過を施された富士山伏流水と、能登杜氏の伝承技術で日本酒を醸しております。
能の中には「松は緑」を謳うものが多くあり、特に謡曲「高砂」の相生の松、松は緑に感した初代正吉が「高砂」の銘を戴いたと言われています。
謡曲「高砂」は結婚式でよく謳われる「高砂や、こ乃浦船に帆をあげて 月もろともに…」との歌詞の船出した夫婦がいつまでも仲睦まじく老いていく内容の謡です。
創始の当時、天保年間は世相が暗く飢餓が続いた頃で初代正吉は清めや和に使われる酒にこの意を込めました。
水清き処は酒旨し処、と言われるように、日本酒の味は水によって大きく異なります。
仕込みに使う水以外にも、米を洗い吸収させるための水や原酒に加える水など、酒造りには潤沢な天然の良水が不可欠です。
富士高砂酒造では富士山伏流水を使用しております。
100年の歳月をかけ、自然の濾過を施された霊峰富士の伏流水は発酵力の弱い超軟水です。
この恵まれた天然の良水を使用することで高砂の特徴である口当たりの優しい、ほのかに甘く感じる酒質が醸し出されます。
江戸時代より富士山とともに高砂の酒は造られております。
創業から一度も枯れることなく流れ出る富士山伏流水は高砂の酒造りには欠かすことの できない良質な水です。口当たりが優しく米の旨味が活かされた酒ができるのは この水があってこそです。しかしこの水を使った酒造りは、技術的に非常に難しく、 手間のかかる作業が必要になります。 能登杜氏より伝承されてきた技法で、なめらかで味わい深い、米の旨味を最大限に 活かした美酒造りに励んでおります。
当蔵に自生する微生物達、そして富士山の恵(超軟水の伏流水)とのコラボレーションによって生まれたのが「高砂山廃仕込み」です。
自蔵に生息する乳酸菌を利用して仕込む酒造技術で、長時間かけて酒母を育てます。この酒母で醸したお酒は蔵独自の風味が形成され、また原料米の旨味が生かされます。
高砂は江戸時代よりこの味と技術を伝承し、富士山伏流水と共に独自の味を研き続けています。東北・北陸地方の酸の効いた濃醇な山廃酒と比べると、当蔵の風味は大人しく優しい口当たりでほのかに甘さを感じる酒質です。米の旨味を引き出す最善の方法(酒母造り)として、この技術を大切にしています。
こうして伝承され続けている造りが2019年、「高砂 山廃純米辛口」がインターナショナル・ワイン・チャレンジで金賞、さらには静岡純米トロフィーを受賞いたしました。 また同年、インターナショナル・酒・チャレンジでは「高砂 山廃純米吟醸」が金賞を受賞しました。高砂山廃が世界に認められはじめています。
現杜氏の小野杜氏が酒造りにおいて最も大事にしている信念。
これは平成18年に急逝した先代の杜氏の言葉です。山廃酒母が思い通りに進まない時、麹の品温が上がらない時、醪がキレなくなった(発酵が進まない)時、この言葉を思い出しては乗り切ってきました。
「迷った時は手のかかる方を選べ」「手をかければかけるほど酒は応えてくれる」と。
良質な富士山の伏流水、厳選された地元中心の酒米、この間違いのない原料と水。
そして真摯な造りの姿勢さえあれば、酒はぶれません。必ず応えてくれると信じています。
仲間の蔵人達、そして自分自身を信じて、この富士の麓の地で酒を造り続けています。
造り手の顔の見えるお付き合い、これはお米でも一緒です。
稲穂の成長から望めるよう原料米は地元静岡のお米を中心に使用しています。特に「酒米の王様 山田錦」は100%富士宮産を使用しており、収穫のお手伝いに行くこともあります。こうして農家さんが大事に作ってくれたお米を磨き、きれいに洗うことから酒造りは始まります。
「酒造りは毎年が1年生」という言葉があります。天候・環境・造り手、何ひとつ同じ条件で始まる酒造りはありません。
そしてお米も毎年、性質が違います。 その年のお米の特徴をいち早く掴み、適切な原料処理を行うことが大切です。原料米をよく洗い、どれだけ水分を吸わせたらよいか、試験を重ねます。
「一麹二酛三造り」という酒造りの工程も、全てこの原料処理に関わってきます。 私たちは「まず米を知る」ことから始めています。
富士高砂酒造では日本酒の他にも梅酒などのリキュールも仕込んでおります。
原料となる梅は地元農家様の協力のもと毎年6月になると社員みんなで収穫に出かけます。ひとつひとつ大きい実を選んでは、バケツいっぱいに収穫していきます。
会社に戻ると今度はひと粒ひと粒、丁寧にヘタを取り除いていきます。きれいに洗われた梅の実は、タンクの中へ運ばれ美味しい梅酒になっていきます。
お客様の笑顔に出会うために想いを込めた手作業を続けています。